3279693 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

人生朝露

人生朝露

道家と二十四節気。

今日も『淮南子(えなんじ)』から。
『淮南子』には、ある程度体系的に書かれた章もあれば、断片的な言葉が書き連ねられた章もあります。その量から「説山訓」「説林訓」と区分されているものでして、今回はそのうち「説山訓」から。

『淮南子』。
❝嘗一臠肉、知一鑊之味。懸羽與炭、而知燥濕之氣。以小明大。見一葉落、而知歲之將暮。睹瓶中之冰、而知天下之寒。以近論遠。三人比肩、不能外出戸。一人相隨、可以通天下。足蹍地而為跡、暴行而為影、此易而難。莊王誅里史、孫叔敖制冠浣衣、文公棄荏席、後黴黒、咎犯辭歸、故桑葉落而長年悲也。鼎錯日用而不足貴、周鼎不爨而不可賤。物固有以不用而為有用者。地平則水不流、重鈞則衡不傾。物之尤必有所感、物固有以不用為大用者。❞(『淮南子』説山訓)
→鍋の中の肉を一つ味わえば、鍋全体の味を知ることができる。羽毛と墨を天秤にかければ、周りの空気の乾湿を知ることができる。小さな事象から大きな事象を明らかにする。一枚の葉が落ちることを見れば、年が暮れに差し掛かっているこを知ることができ、水がめに氷が張っていることを見れば、天下の寒さを知ることができる。
三人肩を並べれば、戸口からでることすらかなわないが、一人ずつ従って進めば天下に通じることもできる。踏みしめれば足跡はできるものだし、動けば影もそれに従うのは当然であるが、これを思い通りにするのは難しいことである。莊王が里史を誅殺したと聞き、孫叔敖は(自分が召し出されるのを知って)冠をぬぐい衣を洗ったという、文公が蓆を捨て、浅黒い男を後列に配したとき、咎犯は(法令が改められることを知って)職を辞して帰国しようとした。故に、桑の葉が落ちることで年長者は(自らの寿命を察して)悲しむのである。日ごろ使う鼎をことさら丁寧に扱う必要はないが、祭りに使う周の鼎を粗末に扱うことはできない。もともと無用であるが故に有用である事物はあるものだ。平らな土地では水の流れようがない。重さが同じでは天秤は傾きようがない。物に均質さがないが故に使いようができる。事物には無用であるがゆえに大用にかなう場合があるものである。

attachment1
・・・中華圏では「一葉知秋」といい、日本では「一葉落知天下秋(一葉落ちて天下の秋を知る)」という慣用句の典拠となる部分です。厳密にいうと、元ネタの『淮南子』では、桑の葉のことを指したものですが、その後、白居易の『長恨歌』あたりから「梧桐(アオギリ)」の葉で表現されることが多くなりました。さらには、「桐(キリ)」の葉が担って、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」または「桐一葉」という形式で使われることもあります。日本の場合には、禅語として、または季語として人口に膾炙したものだろうと思います。

参照:Wikipedia アオギリ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%AE%E3%83%AA

芭蕉。
我宿の淋しさおもへ桐一葉    芭蕉

 
春夏秋冬の「四時(四季)」は、道家の初期の段階から、この世界の構成要素として重要視されていました。「太一生水」もそうですし、『荘子』でもよく引き合いに出されます。

『太一生水』(湖北省博物館)。
『太一生水、水反輔太一、是以成天。天反輔太一、是以成地。天地复相輔也、是以成神明。神明复相輔也、是以成阴阳。阴阳复相輔也、是以成四时。四时复相輔也、是以成凔热。凔热复相輔也、是以成湿燥。湿燥复相輔也、成歳而止。故歳者、湿燥之所生也。湿燥者、凔热之所生也。凔热者、四时之所生也。四时者、阴阳之所生也。阴阳者、神明之所生也。神明者、天地之所生也。天地者、太一之所生也。是故、太一藏於水、行於时。周而又始、以己为万物母。(郭店楚墓竹簡『太一生水』より)』
→太一が水を生じ、水は太一に反輔し、是を以て天となる。天は太一に反輔し、是を以て地となる。天地はまた相輔する。是を以て神明となる。神明また相輔して、是を以て陰陽となる。陰陽また相輔して、是を以て四季となる。四季はまた相輔する。是を以て凔熱となる。凔熱はまた相輔する。是を以て湿燥となり、湿燥はまた相輔して、歳となり止まる。故に歳は湿燥の生じるところである。凔熱は四季の生じるところである。四季は陰陽の生じるところである。陰陽は神明の生じるところである。神明は天地の生じるところである。天地は太一の生じるところである。これ故に太一は水を蔵し、時において行く。周してまた始まり、以て万物の母となる。

参照:『荘子』と『淮南子』の宇宙。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005186/

荘子と太一と伊勢神宮。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005176/

「天地有大美而不言」 の書 湯川秀樹。
天地有大美而不言。四時有明法而不議。萬物有成理而不説。聖人者、原天地之美而達萬物之理。是故至人無爲、大聖不作。觀於天地之謂也。今彼神明至精、與彼百化、物已死生方圓。莫知其根也。篇然而萬物、自古以固存。六合爲巨、未離其内。秋豪爲小、待之成體。天下莫不沈浮、終身不故。陰陽四時、運行各得其序。昏然若亡而存、油然不形而神。萬物畜而不知。此之謂本根。可以觀於天矣。❞(『荘子』知北遊 第二十三)
天地には万物を育むという素晴らしいはたらき(美)がありながら、何も言わない。四時(四季)ははっきりとした法則がありながら、それぞれが語り合うことはない。万物も存在する理由がありながら、何も説明はしない。聖人と言われる人は、天地の美に基づいて万物の理に達する。だからこそ至人は、自然に人の作為を働かせず、聖人ともなれば、自然と一体となる。今、かの神明なる「道」は、万物の変化を彼に与え、その結果、万物が百化して、生まれたり、死んだり、丸になったり四角になったりしている。何者がそうさせているかは分からない。こうして、あまねく万物は生成し、古来より存在している。。宇宙は巨大であっても「道」の法則のうちにあり、秋の日の獣の毛が細くても、それもまた「道」の法則によってそうなっている。天下は浮き沈みをしながらも形を変え続け、四時(四季)は必ず同じ順序で巡り来る。これらの存在は真っ暗で存在しないようでいて、はっきりと存在していて、形こそ見えないものの、霊妙な働きを悠然となしている。万物はその存在に養われていながら、その存在を知らない。これを「本根」と言う。これを以って初めて天を観ることもできよう。

参照:大阪大学の「天地有大美而不言」の書
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/catalogue/graduate/intro.html
・・・『荘子』の場合には獣の毛の太さが目安です。

季節にまつわる記録として、『淮南子』には「これ」もあります。
『淮南子』。
❝陰陽刑徳有七舍。何謂七舍。室、堂、庭、門、巷、術、野。十二月徳居室三十日,先日至十五日,後日至十五日,而徙所居各三十日。徳在室則刑在野,徳在堂則刑在術,徳在庭則刑在巷,陰陽相徳,則刑徳合門。八月、二月,陰陽氣均,日夜分平,故曰刑徳合門。徳南則生,刑南則殺,故曰二月會而萬物生,八月會而草木死,兩維之間,九十一度十六分度之五而升,日行一度,十五日為一節,以生二十四時之變。斗指子,則冬至,音比黃鍾。加十五日指癸,則小寒,音比應鍾。加十五日指醜,則大寒,音比無射。加十五日指報徳之維,則越陰在地,故曰距日冬至四十六日而立春,陽氣凍解,音比南呂。加十五日指寅,則雨水,音比夷則。加十五日指甲,則雷驚蟄,音比林鍾。加十五日指卯中繩,故曰春分則雷行,音比蕤賓。加十五日指乙,則清明風至,音比仲呂。加十日指辰,則穀雨,音比姑洗。加十五日指常羊之維,則春分盡,故曰有四十六日而立夏,大風濟,音比夾鍾。加十五日指巳,則小滿,音比太蔟。加十五日指丙,則芒種,音比大呂。加十五日指午,則陽氣極,故曰有四十六日而夏至,音比黃鍾。加十五指丁,則小暑,音比大呂。加十五日指未,則大暑,音比太蔟。加十五日指背陽之維,則夏分盡,故曰有四十六日而立秋,涼風至,音比夾鍾。加十五日指申,則處暑,音比姑洗。加十五日指庚,則白露降,音比仲呂。加十五日指酉中繩,故曰秋分雷臧,蟄蟲北向,音比蕤賓。加十五日指辛,則寒露,音比林鍾。加十五日指戌,則霜降,音比夷則。加十五日指蹄通之維,則秋分盡,故曰有四十六日而立冬,草木畢死,音比南呂。加十五日指亥,則小雪,音比無射。加十五日指壬,則大雪,音比應鍾。加十五日指子。故曰:陽生於子,陰生於午。陽生於子,故十一月日冬至,鵲始加巢,人氣鍾首。陰生於午,故五月為小刑,薺麥亭曆枯,冬生草木必死。❞(『淮南子』天文訓)
→陰陽、刑徳には七舍がある。何を七舍というのだろう?室、堂、庭、門、巷、術、野がその七舎である。十二月に徳は室に三十日間して、冬至の前の十五日と冬至の後の十五日のことである。各々三十日その舎にとどまる。徳が室にいるとき、刑は野にあり,徳が堂にいるとき、刑は術にいる。德が庭にいるとき、刑は巷にある。徳が陰陽とともにあれば、刑、徳は門にて合わさる。八月と二月は陰陽の氣が等しく、昼と夜とがともに等しい。故に刑・徳が門に合ずるという。徳が南ならば生,刑が南ならば殺。故に二月は萬物が生じるといいい、八月に草木が死するという。両維の間は、九十一度と十六分の五の角度であり、日に一度回り、十五日で一節となり、もって二十四時の変化を生ずる。北斗が子(北)を指すときがすなわち冬至であり,音程は黄鍾にあたる。十五日経過して北斗が癸を指すときがすわなち小寒であり、音程は應鍾にあたる。さらに十五日経過して北斗が醜を指すときがすなわち大寒であり、音程は無射にあたる。さらに十五日経過して北斗が報徳の維(東北)を指すときに陰が地に降りる。ゆえに「冬至から四十六日目は立春となり、陽気が氷を解く」という。音程は南呂にあたる。さらに十五日経過して北斗が寅を指すときがすなわち雨水であり、音程は夷則にあたる。さらに十五日経過して甲をさすときがすなわち雷が蟄(虫)を驚かす(驚蟄、日本でいう「啓蟄」のこと)。音程は林鍾にあたる。(以下略)

二十四節気。
前半部分の刑徳に関してはいずれ。後半部分には現代でもなじみのある「二十四節気」が書かれてあります。『淮南子』では、北斗七星の観測結果と、地上での現象とを対応させて、さらには十二の音階とも関連付けています。十二支もそうですが、現在のものとほぼ同じ「二十四節気」の記録がある最古の書物もこの『淮南子』です。

参照:Wikipedia 二十四節気
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%AF%80%E6%B0%97

参照:『荘子』と『淮南子』の宇宙。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005186/

荘子と太一と伊勢神宮。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005176/

『淮南子』。
❝天神之貴者,莫貴於青龍,或曰天一,或曰太陰。太陰所居,不可背而可向,北斗所擊,不可與敵。天地以設,分而為陰陽,陽生於陰,陰生於陽。陰陽相錯,四維乃通。或死或生,萬物乃成。蚑行喙息,莫貴于人,孔竅肢體,皆通於天。天有九重,人亦有九竅;天有四時以制十二月,人亦有四肢以使十二節;天有十二月以制三百六十日,人亦有十二肢以使三百六十節。故舉事而不順天者,逆其生者也。❞ (『淮南子』天文訓)
→天神のうちで青龍ほど貴いものはない。ある時は天一といい、またるときは太陰ともいう。太陰の場所は、背を向けてはならない。北斗の撃つ場所を敵としてはならない。天地を陰陽の二気とすると、陽は陰によって生じ、陰は陽によって生じる。陰陽は互いに交わって四維が通じる。あるいは死、あるいは生、それにより萬物は生成する。足があり呼吸をする生き物の中で人より貴いものはなく、人の身体における器官や身体はみな天のはたらきに通じている。天に九重があれば、人にも九竅があり、天に四時(四季)があって十二の月があるように、人にも四肢と十二の節がある。天に十二の月と三百六十日があるように、人にもまた十二肢と三百六十の節がある。ゆえに、事あるごとに天に従わないのは、生に逆らっているのと同じことである。


日本の『日本書紀』『古事記』には、四季についての記録がほとんど見られませんが、それに先行する紀元前の道家の書物では、宇宙観に直結する形で記録が存在します。後の道教にも通じるこの種の特徴的な考えについて、フランスの道教研究者、アンリ・マスペロは、このように説明しています。

アンリ・マスペロ(Henri Maspero/馬伯楽 1883-1945)。
❝気の循環は、この時代(すなわち唐代以前)においては、何よりも呼吸の特殊なやり方ということにその本質がある。というのは、問題になるのは外気だからである。つまり、空気こそは人間の生命力の気なのであって、これを三つの丹田へ通さねばならないのである。
 人間と宇宙とは中国人にとっては完全に同一である。それは単に全体において同一というだけではなく、おのおのの細部に至るまでも同一なのである。人間の頭は天と同様に円く、足は大地と同様に長方形である。五臓は「五つの元素(五行)」に対応し、二十四の椎骨は一年の二十四の節季に、十二の気管の輪は十二カ月に、三百六十五の骨は一年の三百六十五日に対応する。静脈とその中に入っている血液は、河川に対応する等々。実際に宇宙は巨大な身体であって、ある人たちは「太上老君」の身体だといい、また他の人たちは「盤古」--これは「元始天尊」にほかならぬ--の身体だと言っている。

 老子はかれの身体を変えた。かれの左目は太陽となり、右目は月になった。頭は崑崙山となり、髪は惑星と星宿になった。その骨は竜となり、肉は四足獣に、腸は蛇に、腹は海となり、指は五岳に、毛は草木に、心臓は華蓋(の星座)になった。そして二つの腎臓は結ばれて「真の父と母」(真要父母)になった。

 任昉は六世紀に、その≪述異記≫のなかで、盤古の伝説を全く同様に述べている。

 むかし盤古が死んだとき、かれの頭は四岳となり、両眼は日と月になった。その脂は河と海になり、髪と鬚は草木になった。秦漢時代に世間では、盤古の頭が東岳で、腹が中岳、左腕が南岳、右腕が北岳、両足が西岳だといわれていた。古の学者は、盤古の涙は河であり、その吹く息が風、その声が雷、両眼の瞳孔が稲妻だ、と述べている。

 この伝説は必ずしも道教起源のものではない。というのは、身体即宇宙という考え方そのものは。何ら道教に特有のものではないのだから。それは世界中に広く行われた信仰であり、俗界と宗教界とを問わず、ほとんどいたるところに、またあらゆる時代に存在するものである。しかし、道教徒は、身体と宇宙を同一視するこの考え方を、その同時代の人々よりもずっと極端に押し進めたのである。❞(『西暦初頭数世紀の道教に関する研究』東洋文庫刊 アンリ・マスペロ著 川勝義雄訳)

今日はこの辺で。


© Rakuten Group, Inc.